ウクライナ戦況

ゼレンスキー大統領を批判した将軍に不可解な人事、口を塞ぐため前線送り

ウクライナ侵攻開始時に統合軍司令官を務めていたナエフ中将は「戒厳令導入の遅れが事態を悪化させた」と指摘、これを受けてゼレンスキー大統領はナエフ中将を前線司令官に任命、ウクライナ人ジャーナリストのブトゥソフ氏は今回の人事について「ナエフ中将の口を塞ぐためのものだ」と批判した。

参考:Генерал Віктор Назаров: ще у 2022 році Залужний пропонував наступ на Бєлгород, але його не підтримали
参考:Генерал Наєв: У військових не було жодного документа, в якому було б написано, що 24 лютого 2022 розпочнеться наступ Росії
参考:Наєва прямим наказом Зеленського призначили командиром тактичної групи “Велика Новосілка”, – Бутусов
参考:Наев получил боевое распоряжение на Донбасс – источники
参考:Наєва призначено командиром тактичної групи “Велика Новосілка” – джерело

ゼレンスキー大統領にとって「戒厳令導入の遅れ」を蒸し返されるのは政治的に許容できないのだろう

ザルジニー総司令官の元顧問=ナザロフ少将はBBCの取材に「ウクライナ軍がロシア軍の武力侵攻を阻止するには幾つかの前提条件を満たす必要があった。最初に最高司令官=大統領が国を守るため武力を用いると決断する必要があり、戒厳令によって憲法上の権利と自由に一定の制限を導入しなければ国を守るための適切な決定を下す事ができない。もっと早く国を守るためウクライナ軍を使用すると決断出来たはずで、戒厳令が2021年末か2022年1月に導入されていればキーウ、チェルニーヒウ、ヘルソン、ザポリージャで敵を阻止する状況はもっとマシになっていた」と指摘。

ナザロフ少将の指摘を分かりやすく要約すると「ウクライナ軍は戒厳令が導入されるまで国有地や私有地に陣地や地雷原を構築することが法的に認められていない」「ゼレンスキー大統領はロシア軍の大軍がベラルーシやクリミアに集結し、西側諸国が侵攻に踏み切る可能性が高いと再三警告していたにも関わらず、戒厳令を導入したのは侵攻開始後=2022年2月24日の午前5時だった」「ウクライナは本格的な準備もないままロシア軍の侵攻を許した」という意味になり、元統合軍司令官のナエフ中将も同様の指摘を行った。

ナエフ中将は2020年3月に統合軍司令官に任命されたが、ザルジニー総司令官の解任に伴って統合軍司令官もソドル中将に交代し、現在は正式なポストに就いておらず、Ukrainska Pravdaの取材に「ロシア軍の侵攻に備える政治的決定は何もなく、私とザルジニーは権限を逸脱して出来る範囲内で部隊を動かした。部隊をタイムリーに動かすには数ヶ月間の事前準備が必要で、侵攻初期の対応は全て法的根拠が伴わない独自の決断だった」と述べ、遠回しに「戒厳令導入の遅れが事態を悪化させた」を批判したが、どうやらナエフ中将の指摘はゼレンスキー大統領の逆鱗に触れたらしい。

出典:PRESIDENT OF UKRAINE

ウクライナ人ジャーナリストのブトゥソフ氏は「ナエフ中将は戦争準備の失敗とゼレンスキーの責任について語った記事が登場した翌日=11日、ゼレンスキー大統領から直々にヴェリカノボシルカ戦術グループの司令官に任命された。ゼレンスキー自身はナエフ中将が司令官を引き受ける条件を満たしていないと知らなかったが、周囲の人間はゼレンスキーの感情的な命令実行を急いだため細部には拘らなかった。大統領府と国防省はナエフ中将をヴェリカノボシルカ戦術グループに送り込むのに必要なポストを検討している」と指摘。

ブトゥソフ氏は今回の人事について「ゼレンスキー大統領は出来るだけ早くナエフ中将をキーウから遠ざけようとしている」「ナエフ中将を前線に送り込んでメディアの取材を受けられないようにするためだ」と述べていたが、Interfax-Ukraineも「ナエフ中将がヴェリカノボシルカ戦術グループの司令官に任命されたことを確認した」と報じ、DEEP STATEはヴェリカノボシルカ戦術グループについて「現地部隊と上位司令部=ドネツク戦術・作戦グループとの橋渡し役に過ぎず、独自の決定を何も下せない」と指摘していたことがある。

出典:Об’єднаний пресцентр Сил оборони таврійського напрямку

ドネツク戦術・作戦グループの司令官はタルナフスキー准将が務めているため、ウクライナ英雄の称号を与えられたナエフ中将がタルナフスキー准将の指揮下でヴェリカノボシルカ戦術グループの司令官(これまでの実績に釣り合わないポスト)を務めるというのも不可解で、ヴェリカノボシルカ戦術グループ司令官への任命タイミングも加味すると「ブトゥソフ氏の指摘」は事実かもしれないし、ゼレンスキー大統領にとって「戒厳令導入の遅れ」を蒸し返されるのは政治的に許容できないのだろう。

因みにナエフ中将は「ウクライナ南部における防衛体制の不備=特に侵攻直後のチョンガル橋爆破の失敗」について責任を問われたことがあり、これに関してもUkrainska Pravdaの取材に「南部防衛を強化するため砲台設置を試みたが、ヘルソン州当局、ザポリージャ州当局、土地の所有者に法的根拠がないと拒否された」「私は侵攻前夜にチョンガル橋を爆破するよう現地部隊に指示したが、彼らは攻めてきたロシア軍と交戦しながら爆破作業を行わければならなかったことを考慮しなければらない」「ヘルソン州とザポリージャ州はドンバス方面と同じように特別措置を導入すべきだった」と述べているのが興味深い。

出典:Jesse Allen and Robert Simmon. NASA Earth Observatory

要するにドネツク州とルハンシク州に導入された『ウクライナ東部における対テロ作戦措置法』に類似した特別措置をヘルソン州とザポリージャ州に導入し、憲法上の権利と自由を制限して「ウクライナ南部の防衛強化を行うべきだった」という意味で、ナエフ中将は「チョンガル海峡に掛かる3つ橋周辺に1,500個の地雷を設置したが、ここでロシア軍を阻止するには20万個の地雷が必要だった」と述べ、このような防衛措置は戒厳令か特別措置でも講じないかぎり実現不可能と言いたいのかもしれない。

追記:ロシア下院の国防委員会に所属するアンドレイ・グルレフ議員は第58軍連合軍の司令官や南部軍管区の副司令官を務めた軍人で、早くから「ロシア軍の中で蔓延する嘘との戦いは特別軍事作戦の開始直後から続いている。ある大隊の指揮官は配備先の森林地帯について半年間も「我が支配している」と報告していたが、ローテーションで新しく配備された部隊の指揮官は「支配しているはずの森林地帯」に敵がいることを知り、報告書上ではロシア軍の支配地域だったところを攻撃しなければなかった。この様な嘘の報告は日常茶飯事で、大統領、国防相、参謀総長、国防省に対しても前線の指揮官達は不正確な情報を報告する」と指摘。

出典:Два майора

さらに出演した番組内でも「我が軍に潜む問題は正確な情報が共有されず嘘が蔓延っている点で、このシステムは下から上ではなく上から下に進む」と批判し、ロシア人ミルブロガーからは「全くその通りだ」「ロシア軍における嘘の文化が勝利の妨げになっている」と称賛されていたが、この様な態度が原因でグルレフ議員は国防委員会から解任(別委員会への移動)されたらしい。

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※アイキャッチ画像の出典:Командування Об’єднаних Сил ЗС України 

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コメント

    • nk
    • 2025年 2月 12日

    ロシア軍の嘘報告の事実を述べるロシア将軍vsゼレンスキーの失策の事実を述べるウクライナ将軍。
    正論が通るような環境には程遠いけど戦争中はこんなものなんでしょう、そう考えると忖度余りしないryberやdeepsteatは凄く頑張っていると思う。

    61
    • 無名
    • 2025年 2月 12日

    これは、すでに陥落してるヴェリカノヴォシルカを、ナエフ中将着任後に陥落した事にして、ナエフ中将に責任押し付ける。までやるかも。

    15
    • レプタリアン
    • 2025年 2月 12日

    過去の事をウダウダ言うならゼレンスキーが西側の警告無視してチキンレースしなければ何も失われなかった訳で

    39
    • イーロンマスク
    • 2025年 2月 12日

    「などと言っております、同志ゼレンスキー」
    「なるほど東部戦線送りだ」

    52
    • tokisada
    • 2025年 2月 12日

    ドネツク地方の虐殺が、そもそもの失策だろ

    42
    • うくらいだ
    • 2025年 2月 12日

    ゼレンスキーの直情径行がわかるエピソード
    とりあえず感情優先で冷静さがない。
    あと、自分のイメージ壊す奴は全員前線(英大使もあり)だあ!

    25
    • 理想はこの翼では届かない
    • 2025年 2月 12日

    軍人としての意見はよくわかる話ではあるのですが、だからといって法的根拠を無視して軍事的措置(私有地への陣地構築など)をやってしまったらそれは文民統制を逸脱しているのでちょっとどうかと思います
    ゼレンスキー大統領の判断が遅れた事を批判するのはそれはそれで構わないと思いますが、それと以下の発言のような勝手な行動は別問題でしょう。一歩間違えば軍部が政権を掌握して好き勝手やりかねない話ですから
    大抵の軍事政権は元々は「愛国」「国防」のために行動を起こすものです

    >「ロシア軍の侵攻に備える政治的決定は何もなく、私とザルジニーは権限を逸脱して出来る範囲内で部隊を動かした。部隊をタイムリーに動かすには数ヶ月間の事前準備が必要で、侵攻初期の対応は全て法的根拠が伴わない独自の決断だった」

    22
    • アイアン
    • 2025年 2月 12日

    言いたいことはわかるけど、攻められる前に戒厳令を出すのは政治的には不可能だよ。
    高級将官ならそのあたりの政治判断を理解できないのは、致命的じゃないかなぁ。

    24
      • 通りがかりさん
      • 2025年 2月 12日

      だから地域限定の特例措置を先にしろと言っているのでは?東部地域に準じたものでは不自然さは無いかと。

      1
    • 古銭
    • 2025年 2月 12日

    他の地域はともかく、州都ヘルソンが落ちたのは政治的な失態や民間避難の都合を抜きにしても明確な軍の失態だと思いますが。
    一部与党議員がSBU職員に裏切り者がいたせいで(他の地域と同様に)ヘルソンまで落ちたなどと責任転嫁しようとしていた時期もありましたが、州都の位置関係を考慮すればそれは無茶でしょう。

    15
      • ロシア対ウクライナ
      • 2025年 2月 12日

      制度や法律違反をしたという人物を、軍の上層部においておくのは無理だから、ゼレンスキー大統領の判断は政治的には適切でしょ。
      曖昧なままにしておいて、戒厳令遅かった批判すればよかったが、言わなくていいこと本人が言っちゃえば軍の規律守るために罰せざる仕方なくなる。
      開戦前までは、プーチン大統領がとどまれば、戒厳令だしたの批判されていたし、ゼレンスキー大統領判断ミスはキーウに兵力おいてなかったり開戦前は結構あるから、これも判断ミスの一つではありますね。

      8
      • 古銭
      • 2025年 2月 12日

      (誤) 政治的な失態や民間避難の都合を抜きにしても
      (正) 政治的な失態や民間避難の都合を考慮した上でも

      1
      • 2025年 2月 12日

      もともとこの論争はゼレンスキーがザルジニーを査問にかけてクビにしようとしていた頃からあったわけで。
      結局ザルジニーの国民人気の高さから有耶無耶になってた。
      ザルジニー派のナエフやブトゥソフが今さら蒸し返して攻撃してくるのは選挙が見えてきたからじゃないかな?
      ザルジニーが直接立候補するかどうかは不明だけど彼は何らかの形で次期政権で復権すると思うよ。

      4
        • 古銭
        • 2025年 2月 12日

        現在の政治的状況は別として、ヘルソン失陥に関する責任追求はザルジニー前総司令官と大統領府の関係悪化以前からのものです。
        開戦直後には前総司令官軍とは関連付けない形で軍の一部が追求され、そこから主に与党議員の一派によりSBUの責任だとされ、前総司令官周りが騒がしくなったあたりから再度軍が(前述の与党議員の一派からも)追求されるようになりました。
        内々で処理せずに政治問題化させた割に、責任の所在が明らかにされないままその時々で都合のいい武器として使われ続けています。

        作戦司令部南の情報統制が厳しいこともあるのか、州都前面での戦闘により戦力が消耗+SBUの内通者による流言で州都の防衛困難と判断し放棄、などという古代の戦史と見紛う怪情報が出回る始末。
        内務省首脳陣のヘリ撃墜事件と並ぶ今戦争におけるウクライナ側の未解決事件ですね。

        8
    • kitty
    • 2025年 2月 12日

    我が国の災害出動でも、法制上、動けないのを屁理屈付けて偵察機出したりしてましたね。
    その後に法改正したりしたわけですが、戦時法制に関しては、まだまだ不十分なわけでいざ開戦となったら、また屁理屈付けた超法規的対応をするんでしょうねえ。

    8
    • DEEPBLUE
    • 2025年 2月 12日

    どんどん伍長化してるなあ・・・

    9
    • たむごん
    • 2025年 2月 12日

    初動、画像のベレコプ地峡(クリミア~ヘルソン州の要衝)は、独ソ戦でも要衝でも突破に損害がでていたため、あっさりヘルソン州に侵入していたのが不思議でした。

    (批判する意図はないのですが)当時のゼレンスキー大統領の発言を振り返ると、アメリカからの警告に対して煽るなと怒っていましたが、今回の記事内容で背景を理解できました。

    (クリミア半島 Wiki)
    (2022年1月29日 ウクライナ大統領、西側諸国は「パニックを作り出すな」 ロシアとの緊張めぐり BBC)

    5
      • たむごん
      • 2025年 2月 12日

      追記です。

      戦時中なのに両国が、内部で解決しようとしても解決できなかったことを、メディアを使ったり表に見える形で告発しているのは興味深いですね。

      5
      • 通りがかりさん
      • 2025年 2月 12日

      バイデンの開戦カウントダウンかな?狂ったことしてるとは思ってましたが。

      1
        • たむごん
        • 2025年 2月 12日

        自分は、派兵しないことを明言したのが印象に残っており、歴史家に考証されるでしょうね。

        (2022/2/11 バイデン氏、ウクライナ退避で「軍派遣しない」明言 産経新聞)

        1
    • ノーテイスト
    • 2025年 2月 12日

    ここまで来ると、ウクライナ内の「○○系ウクライナ人である」という本戦争の根っ子とも言える部分が、末端のみならず戦争指導部まで表面化している事態を疑ってしまいます(ある意味、昔からずっとですが…)。ブストゥフ氏・ナエフ中将他○○オフ→ロシア系?、ザルジニー・○○エンコはウクライナ系?、ゼレンスキー・シルスキー他○○スキーはユダヤ系かポーランド系?。民族主義者が政権内にいる限り、同じルーツでセクト化する可能性も。元々、この戦争に対する立場や評価に齟齬があるかも知れませんし…。因みに私は、ユダヤ陰謀論には大反対です。寧ろ「真犯人」から目を逸らすのに都合良く利用されている感もあります。欧州での最大の被害者は、どう考えてもユダヤ系の方々でしょう。一方、極々一部の超強硬派が「アメリカ・イギリス・イスラエル」の“真の悪の枢軸”の一画を成し、ウクライナ現政権と連携しているのを無視は出来ませんが…。彼等の暴挙も世界中の大半のユダヤ系の首を絞める行為になりつつある様な…。

    7
    • LL
    • 2025年 2月 14日

    いかにもゼレンスキー大統領が悪いような見出しだけど、これは仕方ないのでは。
    違反したと自白してるわけだし戒厳令を事前に使うのは現実的に難しい。今更掘り返してどうにかなるような話じゃないし誰も得しない

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