BAEのM777は生産ラインの閉鎖が決まっていたものの「M777に関する米陸軍との契約は生産再開に最適な条件を作り出すだろう」と3日に発表、Financial Times紙も「需要が高まる中でBAEがM777の生産再開に乗り出した」と報じている。
参考:BAE to restart M777 howitzer production as Ukraine war ignites demand
管理人を含む多くの人々は「戦場の優劣が兵器のスペック差だけで決まる」という考え方を捨てるべきなのだろう
ウクライナとロシアの大規模戦争は「通常火力が戦場を支配する」という伝統的な概念の有効性を証明し、米陸軍の近代化を担当するジェームズ・レイニー大将も「ウクライナで精密射撃や新技術の有効性を目撃しているが、依然として最も多くの敵を破壊しているのは通常砲(通常火力)だ。まもなく発表する戦略には戦場での通常射撃を強化する施策(射程の延長や自動装填装置の採用など)が含まれている」と述べ、高価な長距離攻撃能力と平行して「榴弾砲や自走砲といった砲兵増備の強化にも力を入れる」と示唆している。
これは空からのアプローチ=航空優勢下で実施される諸作戦を「地上ベースの高度な防空システムによって否定できる(接近拒否)」と戦場で証明されたこと、移動式の防空システムを発見して破壊するのが「思ったより難しい=運用方法を間違えなければ生存性が高い」という教訓に基づいており、米シンクタンクのアトランティック・カウンシルは「多層式の防空システムは有人機の自由な移動を制限することに成功した」「仮にハイエンドの有人機が制空権を確保できても有人機が飛行する高度と地上の間に広がる“air littoral”の戦いは別ものだ」と指摘。
air littoralとはドローンが主戦場とする戦場の低空域(低空の戦いと呼ばれることが多い)のことを指し、ドイツ連邦軍総監のカルステン・ブロイアー大将も「ウクライナとロシアの戦いは特にドローンの重要性が非常に高く、このレベルでの制空権が将来の戦場で重要になると学んだ」と言及、要するに防空システムが有人機による「空からのアプローチ」を拒否したため「使い捨て前提で低空域を飛び交うドローンの認識力」と「榴弾砲や自走砲が提供する通常火力」が戦場を支配するようになったという意味だ。
そのため欧州でも榴弾砲や自走砲の通常火力が再評価され「ウクライナで活躍しているM777」に関心が集まっているものの、インド発注分の最終組み立て完了後に生産ラインの閉鎖が決まっており、M777を製造するBAEは「最低でも150門以上の発注がないと生産ラインの再開を決断できない」と述べていたが、Financial Times紙は「需要が高まる中でBAEがM777の生産再開に乗り出した」と報じている。
BAEは3日「米陸軍とM777の部品製造に関する契約(チタン製の構造体を2025年に納品する予定)を締結した。我々はM777に対する欧州、アジア、北米、南米からの関心の高まりを目にしている。米陸軍との契約はM777の生産再開に最適な条件を作り出し、既存のM777運用国はもちろん新規導入を考えている国に今回のメリットを活用する機会を提供する」と発表、同社のジョン・ボートン副社長は「155mm榴弾砲に対する新たな技術の採用、長距離精密誘導砲弾の開発、柔軟な機動オプションなどを通じ、M777は今後も砲兵技術のトップランナーであり続けるだろう」と語った。
因みにM777は牽引式なので射点の変更に時間がかかり自走砲と比較して生存性が劣ると言われている。ウクライナでもロシア軍の攻撃で計41門(2023年3月時点の数字)が破壊・損傷しているが、構造が自走砲よりもシンプルで調達コストも安価(推定200万ドル~300万ドル)という利点があり、特にM777はUH-60などの中型ヘリコプターで吊り下げ輸送が出来るため今後も重宝されるのかもしれない。
追記:防空システムが第5世代機による空からのアプローチを拒否できるのかは実戦で証明されていないが、その逆も証明されていないため「航空戦力の火力」に依存する戦術は今後是正されていく可能性が高いものの、これは「ハイエンドの有人機が役立たずで廃れる」という意味ではなく全てはバランスだ。
さらに言えば戦場環境や敵の戦術によって有効な戦術も兵器も変わるため「どんな局面でも役立つゲームチェンジャー的な兵器システム」は存在しないし、最新のスペックでなければ戦争で役に立たない訳でもなく、性能が劣っても量が揃えられるなら「それ自体が質になる」という部分も事実だろう。
ポーランドのドゥダ大統領も2023年6月「ロシアが1960年代の戦車(T-54/55のこと)を持ち出してきたと笑う人もいるが、この戦車が戦場を走り回れば性能に関係なく戦場のあらゆるものが踏み潰されるだろう」と、英陸軍のスチュアート・クロフォード元中佐は最近「この戦争で学んだ教訓があるとすれば『質的に優れた少数の戦力』よりも『能力が多少劣っていたしても量的に優れた戦力』を備えなければならないという事実だ」と述べおり、管理人を含む多くの人々は「戦場の優劣が兵器のスペック差だけで決まる」という考え方を捨てるべきなのだろう。
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※アイキャッチ画像の出典:Jonathan Mallard / CC BY 2.0
米軍の場合CH-47や53で運搬できるのは利点ですよね。
自走機能が無いだけに今回のような正規軍同士の砲撃戦での素早い発射位置の変更が出来ないことから、牽引式の榴弾砲は低強度紛争向けになってしまうのかなと愚考。
海兵隊のような素早い展開を求められる戦場には最適ですが。
『戦は数だよ、兄貴‼︎』が証明されつつあるなあ。
どうなのでしょう。
”質か量か”の二択では不十分ではないでしょうか。
昔のことを言えば、WW2の戦車では、連合国側の場合、
ソ連ではT-34だけではなく、JS-2があり、
米国ではM-4だけではなく、M26が出てきましたし。
ハイローミックスであったように思います。
T-34やM-4の膨大な数量を前提としてですが。
米軍もソ連もコスト重視でしただが、それでも
JS-2やM-26の必要を認めているようにも見えます。
それはそうです。一定の質を伴った量が必要と言うことです。
対テロ戦争での弱い者虐めにうつつを抜かしていた結果、ちょっと本格的な正規戦における現実を見失ってたよねと言うお話でしょう。
航空偏重とコスト意識の欠如
まさしく開戦以前から私が西側兵器群に抱いていた懸念がこの通りです
馬鹿馬鹿しく高コストなポスト冷戦時代の兵器などオタクの慰めにしかならず、東側の優れた兵器群に蹂躙されることになるだろうと
しかし誤算もありました
確かに東側の兵器システムは洗練されており、コストパフォーマンスに優れ、量による質で西側兵器を圧倒しました
しかしいくら兵器があっても人員不足で有効活用出来ないという編成上での問題を抱えていました
例えばBTG編成における狙撃兵分隊の規模はフル編成でIFV1両と歩兵7人です
この編成を可能にしたBMPやBTRの生産性とロシアの調達計画は素晴らしいですが、実際に7人フル編成を組める部隊は少なく、多くの部隊で1分隊3〜5人という状況が見られました
これうち3人は車両の操作に取られますから歩兵の役割が果たせなくなるわけで、実際緒戦はその編成上の問題をつかれて多くの兵器を失いました
つまりいくら優れた兵器であろうと人がいなければ意味がないのです
西側がコスパ意識を思い出してくれたのはいいですが、人員不足という問題を解決出来なければロシアと同じ失敗を繰り返すことになります
まあ各国が動員なしに成り立たないような編成に回帰するのであれば、ポスト冷戦時代のように列強の気まぐれで中東やアフリカが蹂躙するのが難しくなって平和に近づいていいかもしれませんが
仰る通りと思います。
ロシア軍のBTG編成は、歩兵が少ない事による弱点(対戦車火器に弱い)が、ウクライナ戦争の開戦当初に指摘されていました。
ww1の頃に発表された『ランチェスターの法則』の再確認かな。
一騎打ち形式の一次法則だと、戦闘力=質 x 量
集団戦な形式の二次法則だと、戦闘力=質 x 量の二乗
遊兵化していない『量』に対して、『質』で対抗するのが難しいことは、110年ほど前の数理モデルで示されていること。
一方で、政治や財政などから『量』に縛りがある場合は、『質』にスポットが当たるのだろうから、
今回の様なケースでも無ければ、『量』の暴虐が『歴史上の話し』扱いされるのも仕方ない事なのかな?
局地的な電撃戦は別として、広い意味での総力戦における膠着した戦線では結局のところ弾が出れば足りないよりはよほど役に立つことが示された。0と1には大きな違いがある。最前線の兵士からしたら最新のアサルトライフルからでた弾丸とモシンナガンからでたダンガンにどれほどの差があるだろうか?少なくとも国境を接する陸軍国家では投射量とマンパワーである程度のことは代替できてしまう。被害の量や戦略的柔軟性に影響はないはあるとは言えうつ弾や武器、撃つ人間がいなければ結局は戦えない。こんな当たり前のことを開戦初期、なんなら今でも理解しないでロシアをあなどるのはむしろ自分たちに害しかない…。
繰り返される火力優越の再確認。今回も戦後しばらくしたら再び火力の廃却が進むと思う。そして次の戦争で機動力に頼り、装甲戦力でなんとかしようとして火力に粉砕される。
まあ使わない武装を保持し続けるのが無駄であるのは確かだし、実感を伴わない経験則が世代交代で失われるのは避けられない。教訓は必ず忘れられるという教訓だけは覚えておけると良いのだけど。
WWIいやナポレオン戦争の頃から何度も繰り返している流れですね。皆機動戦が大好きですから。
悲惨な消耗戦を避けたいという金の都合と、華麗な機動戦により勝利を収めたいという作戦畑なら誰もが持つ人間の欲求が合わさって仕方の無いことなのかも知れません。でも結局最後に勝つのは無力化主義では無く破壊主義なのだ。
自分はSTGのシビライゼーションで防御系ユニットの最終進化形態である機械化歩兵が、石器~中世時代の馬で引いてる戦車の波状攻撃でなぎ倒されたのを思い出します
シビライゼーション面白いですよね、ヒッタイト・チャリオットですかね。
自分も、弓兵の数の暴力で、ドンドン削られた事を思い出しました…。
ベトナム戦争は結局のところ航空優勢があったにもかかわらず、北ベトナムの勝利。
航空優勢は重要だが、いつの間にかスペック神話に陥っていたのだろう。ミサイル万能論のように。
他にも、GDP神話。これも、GDPの少ないロシアを軽視し過ぎていた。
(逆に日本はGDP以上に国内での暮らしは他国に比べて優れている。)
それが分かっただけでも、今後の防衛体制組み込めるので、ウクライナには申し訳ないが、日本にとっては大変ありがたい教訓だと思う。
高空という限定された戦闘領域での航空機同士の戦闘であれば、質(絶対的な射程と命中率、ステルス性)は物を言いますので航空優勢を維持できます
しかし、航空優勢を維持して爆撃をできるようになっても広大な森・湿地帯・点在する集落を全てカバーできる訳ではないので、そこで量が質を上回ったという事例ですね。もちろん、そのために膨大な人命という「量」が犠牲にはなっているのですが
同様に、記事で指摘されているように重層的な対空兵器による「接近拒否」が成立する戦場では、地上での火力とドローンによる低空監視・戦闘において量が質を上回ると
地上での戦闘の歴史では、かつては全身鎧(質)・騎馬兵(速度・火力としての質)が軽装歩兵(量)を圧倒する事がありましですが、ハンマー・合成弓・ボウガン・銃のような火力の向上により、量が質を上回り、高価な質を求めた兵種は滅びました
一時期は戦車・装甲車・航空機により質が重視される時代もありましたが、それすら対戦車ロケット・FPVドローン・対空兵器により対応できるようになり、また量が質を上回る時代になりました
ひょっとしたらまた新しい兵器・戦術が生まれて絶対的な質の時代が来るかもしれませんが、現時点では「質より量」の時代になっているのだと感じます
空戦だって質より量だよ
空母っていう兵器はそのためのものだし、ボイドの理論もまさに数を揃えることの重要性を説いてる
そして大規模な戦闘になるほど質より量の傾向は強くなる
模擬戦や小規模紛争なら質で圧倒できるけどね
とは言え、戦場に出来る空間は有限で、
また探知距離や攻撃距離の増大とか移動速度の関係でだろうけど(特に速度かな?)、個々の間隔は結構あるので、
戦場に投入可能な量は地上戦とかに比べて少なめかと。
そして、量で圧倒しようとしても(地上戦に比べて)比較的低い所に限界がある事から、
相対的に質の比重が(地上戦に比べて)高めになるような印象があります。
あと、少数同士の戦闘だと、
量の効き具合が二乗ではなく一乗になり易い筈だから、
質の効果がより出易いだろうな、とも。
次はDEW兵器が実用化されると一変しそう。
光線級が実在するマブラブ的展開。
結局、アメリカを始めとするお西側諸国より旧ソ連の方が正解だったとういう事でしょうか。
特に人的損害をある程度度外視できる国家体制との相性は抜群だと思います。
というより、冷戦終結後の西側が平和ボケし過ぎてたというべきですかね。
ロシア政府・国民はソ連崩壊後もそれなりの覚悟を持っていたのに対して、西側は冷戦が終わったからと覚悟を捨ててしまった結果だと思います。
この21世紀に正規軍同士の大規模な戦争が起こることを想定して準備いた西側諸国は対中に備えていたアメリカ、一応戦時体制にある韓国、紛争への派遣がほとんどない日本ぐらいだったのではないでしょうか。ほとんどの国が小規模な非正規戦争に向けた「省エネ」にシフトしていましたから。
日本が正規戦に対応できる様にしようとしていたかと、できていたのかの間には暗くて深い谷がありますがね。
M777って撃つ度に移動しないとカウンター砲撃であっさりやられるので損失が多く、自走砲の必要性を痛感したっていうのがウクライナ戦争の戦訓だったような…
思考の違いはありますね
人命軽視と言われる東側軍学ですが、むしろ人命重視の結果あのような形になっています
ただし人命という概念に対しては東西で明確に違います
東側軍学では人命も鉄や工業力と同列に総力戦を構成する1つのリソースであり、その中でも生産に時間のかかる資源です、だから節約しなければなりません
対して西側軍学の人命は本当に人道主義の概念の中の人命そのものです
だから西側は無敵の兵器を作ります、1人の人命も失わせたくないからです
だから東側は大量の兵器を作ります、統計的な人命の損失を極力減らすためです
どちらが正解かといえば、やはり東側だったように思います
「戦争をすれば人が死ぬ」
端的に言って、この当たり前の話から西側は目をそらし、東側は真摯に向き合ってきた、その結果がウクライナ戦争で表れているのだと私は思います
識者と元自衛官が無謀な白兵戦とか自爆攻撃を称える我が国より遥かに人道的なのでは。神風特攻隊とか大好きならウクライナ軍を見習って「ドローン神風部隊」を早急に設立すべきです、世界の誰も見習わない銃剣道なんぞより実戦で使えて人命も節約できるでしょう。
無限の予算、無限の補給があるのであれば、自走砲で揃えられるでしょうが、現実は難しいですからね…
自走砲を揃えたとしても、足回りの補充部品が不足・生産停止になれば、走る事すらできなくなるという別の問題もあります。
管理人様の仰る通り、必ず制約があるため、バランスは非常に重要であると思います。
このバランスも、戦場によって大きく変わってきますから、柔軟性のある兵器(生産が早い・安い・軽い)が重宝されるのでしょうね。
旧式戦車の脅威は、どの兵器も使い方・使い手の戦術が重要という事であり、戦車が依然として重要である事の証左だと思います。
ATFの運用構想は正しかった、と三十有余年を経て証明されるかもかねー
対空ミサイルによる空軍の排除、妨害電波による精密兵器の命中率低下、そうなると砲撃で相手を圧倒したほうが勝利しますからね。
歩兵戦力ではロシアはウクライナには劣っていたんもあって火力で薙ぎ払うしかない